初めてのホームステイ生活
明日日本に出荷があり、今日中に着く予定の荷物が
輸出業者に届いていません。
他の荷物とも一緒
その調整に奔走しました。日本であれば念を入れて2回チェックで
確定できるようなことがこの国では通じないこともあります。
(出たー!!NZ流です)
あとはそれが起こったときにそのとき選べる
お客さんにとってのBESTを判断し
時間差のこともあって自分で進めていかなければいけないことも
多々あるのです。
今回もお客さんにとっては決して喜べる状態ではありませんが
私の判断と対応を信頼しますと言って頂けたのが
せめてもの救いでした。
ですがやはりベストは3回・4回とチェックしてでも
間に合わせるべきなのが私の義務であったというのが本心です。
ここは大きな反省点でした。
メーカーとの話し合いで今後煮詰めたいと思います。
さて今日はホームステイについてです。
ホームステイというと、例えば4人家族で犬や猫がいて
週末はBBQをするような家庭というイメージがあるかもしれません。
確かにそういう家庭も存在します。
ですがその確率はそんなに高くはないかもしれません。
離婚率50%を超えるこの国ではマザーしかいなかったり
家になかなか帰ってこない家庭もあります。
運という要素も確かにあります。
ですがそれら含めてホームステイなのです。
一番大事なのは予想と違ってたと落ち込んだり
不平を言うのではなくそれら含めて
この外国での生活にどれだけ積極的にかかわり
この国での生活というものを知る努力ができるかどうかというところだと
私は思います。
(もちろん事前の情報に嘘があったり酷過ぎる対応は認めるべきではないと
思いますが・・・)
ただ今までの自分の価値観だけを持ち込んでこの家はイヤだというのだけは
もったいないなあと思ってしまいます。
「プレイステーション2のソフトはそちらでできますか?」
という質問には閉口させられました(苦笑)
自分はカルチャーショックに会うといつも
「そうそう、こういうことを知るためにきたんだよなあ」
って思って暮らしていました。
自分からその国や家庭に馴染もうとする人には絶対
相手にも伝わるんだと思います。
この最初のスタートが成功するかしないかは
1年を飾る上でも大きいかもしれませんね。
私がオーストラリアで過ごした家庭は正直、文句のつけようもないほど
の家庭でした。
(上記のイメージ通りの仲良し家族に犬1匹の家庭です・・・すいません)
写真は私が最初にお世話になったホそのムステイ先の写真です。
帰国後最初の頃は手紙などでやりとりを
していましたがしばらく疎遠になっていました。
そして去年末ニュージーランドからゴールドコーストに行く機会があり
近くのブリスベンにも寄りました。
うる覚えながら車で家に行ってみるとまだ家がありました。
実に9年ぶりの帰宅(?)です。
こちらでは家をリフォームして高く売ることが常識なので
もしかしてもう引っ越しているかと思いながら
恐る恐るドアをノックしてみると、当時まだ中学生だった長女が
立派な大人の女性になってそこに立っていました。
「H・・・・・Hi,僕のことわかりますか?」
と聞くと
「ダイ!!もちろんわかるわよ、よく家族で話をしてたのよ!!!」
ともう大騒ぎ。
その時は他の家族は旅行中とのことで残念だと思っていたら
その長女がお母さんの携帯電話に電話してくれて話をしました。
長女と同じ様にお母さんも大興奮で2日後にまたこっちに来て
会いましょうということになりました。
2日後の再開の時は懐かしさで胸が一杯になりました。
酔ってスケボーで下り坂を下って怪我した事。
親知らずを抜きに歯医者に連れていってもらったこと。
インドアサッカーの学校対抗で準優勝した写真をまだ持っていてくれたこと。
そしていつもこうしてベランダでお気に入りの
HARN ICE BEERを皆で飲んで色々話したことなどを
話してその晩は家に泊めてもらいました。
家の中はすっかり9年前のままでなんだか懐かしくて
自分があの頃に戻ったみたいでした。
ああ・・・恥ずかしい思い出が詰まったあの頃。
その思い出が消えないようにとその昔その恥ずかしい
思い出WEBを作りました。
かなりふざけた文体ですが懐かしい一年の記録です。
オーストラリアワーホリブログ ’97~’98
最後にお別れをしましたが今はニュージーランドにいるので
また会えるねと言われて今回は悲しい別れではなかったですね。
9年も前のおかしな日本人のことの詳細まで覚えてくれた
ことがとても嬉しかったです。
ホームステイ・・・本当に素敵なシステムです。
おやすみなさい。
ダイスケ