5.サウスバンク&JOJO’S
”サウスバンク”
この響きは大袈裟でなく毎日通ったカフェの“JOJO’S”と共に一生忘れられない場所に違いない。
あの頃の、もっと言えばワーホリ生活の“陽”の部分が
あそこに凝縮されていた気がする。
(ブリスベン編自体が陽の部分なのかもしれないけど…)
学校からクイーンストリートモールを抜けエリザベスブリッジを渡るとそこはもう巨大な公園サウスバンクだった。
川沿いに人工のビーチ&プールもどきがあってよくそこで泳いだ。
例のスイスグループやクラスのヤツらともよく日光浴に行った。
水曜日は午前中で授業が終わるので各々直接行く者、用事を済ませてから行く者、自然に集まって行った。
皆、水着になって周りを囲んで”語りモード”になった事もあった。
(一人だけ色違いすぎない?!^^;)
お金がなくなってきてどこにも行く事が出来なくなってからは,週末もそこへ出かけるようになって行った。
いけば、必ず誰かしらいた。
何もしてなくてもここに行けばオージーの休日を垣間見る事ができた。
スケボー。サイクリング。ローラーブレード。色々な物が並ぶマーケット。バーベキューを楽しむ家族達。
日本ではなかなかお目にかかれなくなった光景だとも思った。
そして…
そのJOJO’s…
ここも色々な出合いがあった。
クイーンストリートモール。左上の赤いテラスが”JOJO’S”。
ここではハッピーアワーといって4時から2時間ほど飲み物が安くなる時間帯があった。
まず、毎日ここに通っていたと言える。
違う学校の友達もたくさんできたし、それこそ、いろんな国の人間がいた。
ここの良いとこは一度ここで出会うと次に会っても知らない輪の中に入れて、どんどん友達が増えて行くという点だ。
中にはなんだコイツというやつもいたけど距離さえ間違わなければ皆、陽気で楽しいヤツらだった。
本当にヨーロッパ系の奴らを中心に色々な国の人達と色々な話をした。
そういえばここで”じゃあ、また明日。”というケースが珍しくなく、外国人の女友達にいつも照れてしまうというケースがあった。
別れ際,相手の頬に3回チュッとやるやつだ。
最初は本当にどういう顔していいのか困った。
まあこんなもんか、って馴れた頃
(本当はめちゃくちゃスケベな顔してたかもしれないけど)
もっと困った事が起こった。
日系3世のブラジル人の女のこが登場したのだ。
顔はどう見ても日本人。
でもその振る舞いや行動が外国人。しかもかなりの美人だった。
その娘とも飲み友達になってお別れの頬チューをされるようになった。
こっちとしてはおもいっきり日本人同士という感じがしたのですごく照れた。
二十歳の小娘にキリキリ舞させられた。(うわー死語使いだ。)
お返しに、日本語を全く話せなかった彼女は日本語を勉強したいと言った。
僕の知る限りの下ネタを教えてやった。
修行?!は約2ヶ月続いた。
そして・・・
もう私から教える事は何もない。
今日からお前は下ネタ・マスターだ!!
師匠を越えて行くが良い!!”
エライ喜んでたな…コワイコワイ…どこで使うんだよ、そんなもん。
別れの場面もあった。
僕らが通ってたのは語学学校だったので人によって卒業する時期が違う。
毎週のように新メンバーが入学してくる。
だからヤスエとマイコが皆より早く卒業してファームステイに出ると言い出した時もここで送別会をした。ほぼクラス全員が出席した。
二人は感激の涙をこぼして………るわけなかった。この、企画者泣かせめ!
でもこの二人は着いたファームがタトウ入りの怖そうな人達の集団だったためあっという間にそこから逃げ出してきた。
ふたりで同じ麦わら帽子を被って「怖かったー」
と真面目な顔でJOJO’Sに顔を出した時は思わず吹き出してしまった。