2.初めてのホームステイ-ロウファミリー-
オレが最初に暮らした暮らしたステイ先ロウ家について…
まずはいつもやさしくおおらかな父親ギャリー
彼は近くの不動産会社に勤めていて、帰りにピザなどをよく買ってきた。
また、オレが日本から持ってきたオセロにやたらハマッてしまい、よく夜のベランダで彼のお気に入りのHAHN・ICEビールをi一緒に飲みながら対戦した。
対戦中、オレが揺さぶりをかけようと何か言うと”…だまされないぞ。”とニヒルに笑った。
よく車で色々な所に連れて行ってくれた。
一度、他の友達が”あまりに当たり”のオレのステイ先をうらやましがって遊びに来た時も(結構いい加減なステイ先も存在するらしかった。)B.B.Qをベランダでやってくれた。
女のこ達は”カッコイイ”と呟いていた。
長女のジャスミンは14歳のくせにかなり大人っぽく
”毎日違う男から電話が掛かってくる”と母親のヘレンを心配させた。
残念ながら思春期なのか、変な日本人のオヤジと関わりたくないのか(そっちだろうな)、あまり話をする機会はなかった。
でもスパイスガールズが流れ出すと踊りながら歌い出すというオチャメな部分もあった。
長男のジャスティンはとにかくヤンチャな8歳だった。
金髪の青い目の子で大きくなったらかなりブイブイいわせるんだろうなと思わせた。
「ジャスミン(姉ちゃん)の胸、走るとすごい揺れんだよ。」とか、テレビでちょっと際どいシーンが流れたりすると
手で顔を隠して恥ずかしがりながらも指の間から覗き見てたりとか素質は十分だと思った。(何の?)
イタズラが大好きでやはり母親をよく困らせた。
ある頃から朝こっそりオレの部屋に入って来て足の裏をくすぐって起こすようになった。
ある日入って来たのを気付いたオレは逆に脅かして泣かせそうになった事もあった。
一番この家で世話になり話をしたのは母親のヘレンだった。
ブリスベンにいた頃、どうゆうわけかケガが多く大変な時もあったがそれもヘレンがよくケアーしてくれた。
ビールやタバコもやる豪快な一面はあったがとても世話好き”オカン”だった。
よくご飯を炊いてくれて中華料理もつくってくれたし何かをする時いつも色々なアドバイスを送ってくれた。
いつもベランダで今日一日の話をした。
間違いなく彼女がこの家の実権を握っていた。
(どの国も母親は強いなあ…)
その他にも穏かなギャリーの両親や、独り言が多く、何かあると「rubbish!!.rubbish!!」(くだらない、くだらない。)と呟くヘレンの父親にもこの家で会う事ができた。
この家で出会った人達がオーストラリア人の中で一番心が通じた。
後記(2006年11月28日)
その後9年の歳月を経てブリスベンを訪れて再会を果たすことができました。
もう何もかもあのままで(子どもたちは大きくなってけど)とても懐かしかったです。
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