16.ジャパレス(ジャパニーズレストラン)で働く!
仕事は予想していたよりもハードだった。
オレは昼から出て夜の11時くらいまでやった。
皿洗いだった。
日本食はとにかく小さい皿に種類が多く
すぐに台所は皿で溢れ返っていた。
PM2時で一度店を休憩時間にするのだけど
オレが終わるのはいつも3時を過ぎていた。
客は日本人よりもオージーと中国人が多かった。
5時からまた店が再開し10時に終わったけど
やっぱりオレが終わるのは11時を過ぎている事が多かった。
それからのご飯だった。
店は日本人の職人さんが3人で主に切り盛りしていた。
皆いかにも職人堅気でこんなとこで
そういう人達に出会うとは考えてもみなかった。
常に大きい声が飛んでた。
(オレも皿を落としては”ダイスケー”と遠くから怒鳴られた。)
明らかにスペースに対して細かいものが多すぎた。
平日は毎日働いて休憩の合間に例の先生養成のタダコースの
英語の授業を受けまた仕事に戻るという生活を送っていた。
学校の授業は正直たいして為になるようなモノではなく
生徒が途中で何人か来なくなったけど
オレはディポジット(先に保証金として預ける金)として払った30ドル
を返してもらう為に毎日通った。
(9割の出席で帰ってくるというものだった。)
2週間ほどでその授業は終わり昼休みの時間は空いてしまった。
最初の頃はJOJO’Sに顔を出したりもしていたけど
知り合いがかなり少なくなっていたし
同じようにスイストリオの内2人が旅立ってしまったアヌークと
たまにそこで二人で時間をつぶしていたけど
この頃は2人ともなんかしんみりした話が多くて
自分の国が恋しいというような話が多くなっていた。
そして何より夜から仕事があるので酒は飲めないので
だんだん足は遠のいていった。
そんな時、職人さんの1人が
「おまえも休憩時間に空手やらないか?」と聞いてきた。
オレより1つ下のミチ君が客があまり来ず暇なときに
練習台になって腹を殴っているのは見ていたけど”何やってんだろうこの人?”ぐらいに思ってた。
そんな時にいきなりの誘いだった。
まあ何もする事ないし、いいかと思って参加してみる事にした。
やっぱりハードだった。
筋トレはもちろんの事”練(ネリ)”と呼ばれる重心を落としながら
ゆっくりと進んで行くヤツは相当次の日に来た。
結局、仕事を辞めるまで5回くらいしかできなかったけど
ミットを殴ったり蹴ったりするのはスカッとして気持ちが良かった。
ところでこの練習はそのレストランのまだ使用されてなかった
地下でやっていたんだけど外のメインストリートとつながっていて、
よくウリャーとかセイッとか叫ぶ人もいたので
近くを通った人はその奇声が筒抜けで何が起こってんだと思ったことでしょう。
恐いって。もしオレが通行人だったら…
(空手やってるとはまず思えんし…)
まかないはオーストラリアの食事に飽きていたオレにとっては最高のものだった。
こっちでは大抵肉より魚のが高かったのでまず食べる事がなかったけど
出てきたサバの塩焼きに涙しそうになった。
食費がかからないというのはこの職場の唯一の魅力だった。
ある頃から仕事を終えるとミチ君と一杯だけビールを飲みに
道に出ているカフェに寄るようになった。
彼はとても真面目でモクモクと仕事をこなす爽やか青年だったが
1人は寂しいと漏らしていた。
彼も日本に彼女を残したまま勝手にコッチに飛び出して来たらしく
色々と不安を抱えているようだった。
正にその頃のオレの境遇と同じだった。
ただ、オレはこっちに来て楽しい思いもたくさんしたけど
彼はいきなり飛び出して来てこの生活を送り続けているとの事だった。
彼の不器用だけど真っ直ぐな生き方に好感を持ち
休みの前日二人で朝まで飲み明かした事もあった。
なんだかオレもこの当時、金もなく、オーストラリアの生活に直面して
初めて日本が恋しくなったりした。
今まで楽しみ過ぎ!!
この分かり安過ぎるキリギリス!!
2人共寂しい気持ちはあったけど
もっと自分を試したいという気持ちは一緒だった。
単調な毎日の中で彼との一杯だけが1日の活性剤になった。