最終章.オーストラリア・ワーホリの最後
もくじ
最終章に代えて・・・
1998年の7月末にオーストラリアのワーキングホリデーを終えて日本に帰国した。
その後記憶が鮮明な内に1年の記録を残したいとすぐにホームページを作った。
そして一気に書き上げたのが前回のパースに到着するシーンまで。
その後なぜ最後まで書き終えなかったのか記憶が定かではないけど1ヶ月で5キロ痩せた旅と書いた通りなかなか過酷なラウンドでした。
しかもかなりのスピードで回ったので各地で書き残せるエピソードも沢山はなかったのかもしれない。
日記が出てきたので当時を思い出して続きを書いてみようとも思ったのだがやはり当時の自分の感じ方と20年後の今は大分違うので写真と共にその後の行き先とエピソードを簡潔に書き起こす。
アクティビティ天国パース
パース到着後は1週間ほど滞在して色々なアクティビティに参加した。
自然に隆起した岩・ウェーブロック
昔日本のCMにも使われた蟻塚ピナクルズ
多くのローカルで賑わうフリーマントルというマーケット
イルカの餌付けだけじゃないモンキーマイア
パースから次の大きな町に向かう途中にモンキーマイアというイルカの餌付けが出来るマリンリザーブがあった。
そこへの無料券をシドニーの旅行会社でもらっていたのでそこにも寄った。
だけど花形のイルカに皆の注目が集まる中プカプカ漂うペリカンに俺らは妙に心動かされずっとそっちを追いかけていた(笑)
みんな、イルカだけじゃなくて俺もいるぜ?!
めっちゃ痒ぃー!!
もー、いいわ寝たるっ!!
おおー、そこそこ!
全然イルカ触ってないし!!^^
1日で冬から夏に変わったコーラルベイ
確かモンキーマイアからこのコーラルベイまで北上22時間というバスの旅をした。
その結果モンキーマイアでは冬だったのにコーラルベイ到着後は海に入れるほど気温が変わった(初夏くらいの感覚)という経験をした。
その前のアデレードからパースの旅では旅が終ると時差が2.5時間発生するという・・・
オーストラリアは横では時間が、縦では季節が変わると実感した。
月の階段以上に凄いビーチだったブルーム
月の階段と呼ばれる夜の月の景色が有名な地
残念ながらこの時はみれなかったけどこんな感じらしい。
*これはニュージーランドで撮影したもの
でも月以上に真っ青な空と海そして白い砂浜がすごく印象に残っている。
灼熱地獄のカナララ
更に北上してカナララへ。
赤土の大地が多くなってくる。
この辺からもう完全に真夏の気温に突入。
2人ともだんだん体力を消耗し始める・・・
自然に翻弄される町ダーウィン
ダーウィンはアボリジニーが沢山住んでいて道路に寝そべっている人も多かった。
正直怖そうな雰囲気と喉が渇く町だったという事以外何も覚えていない。
この辺は雨の量に応じて川が溢れて道が塞がることも・・・
リアル・ジャングルクルーズならカカドゥ国立公園
ダーウィンから少し戻る格好になるカカデゥ国立公園
ここではリアル・ジャングルクルーズが楽しめる。
日が昇る前に出発
日の出と共に・・・
野生の馬もいれば・・・
野生のアリゲーターもいる
オーストラリアらしいクルーズツアー
渓谷を下った先の絶景感がすごいキャサリン渓谷
カカドゥ国立公園から更に南下するとキャサリン渓谷があってそこでカヌーに乗りながら渓谷を下って行ける。
装備はツアー会社で全て貸してくれる。
途中カヌーを持ち上げるような場面も^^;
そんな所を抜けると渓谷のスポットに出会える?!
2人旅の終わり・ウルル(エアーズロック)手前
そこまで一緒に旅をしていたコーヘイとはここで分かれる事になった。
コーヘイはそのまま南下してウルルを見に行く事になっていた。
俺はもう帰国が迫っていてそこからブリスベンのある東海岸へ。
最後は今度は俺がコーヘイに見送られる格好になったけど相変わらず怖い顔していた。
今思うとアイツ泣きそうになるとあんな顔になってたんじゃ^^・・・
最後にキタナイひげ2人で撮影した・・・
ラピュタの鉱山の町?!マウントアイザ
嘘か本当か天空の城ラピュタの鉱山の町のモデルになった町
確かにそんな雰囲気はあったけど・・・
ここではバックパッカーに日本人が何人かいて会話しているうちに車に同乗させて貰えることになった。
交代で運転。日本を離れて約1年ぶりの車の運転だった・・・
戻ってきた東海岸タウンズビル
ようやく東海岸に戻ってきた。
車に同乗してくれた人たちとはここで別れて残りのバスパス分を購入。
手持ちのお金が100ドルを切るというなかなかギリギリな状況に・・・
再び始まりの町ブリスベンへ
ブリスベンの地に再び帰って来た。
最後は長い旅を共にしたグレイファウンドと一緒にぱちり。
ホームステイ家族との再会。
そのまま1泊させて貰うことになった。
宿代はファーザーも好きなHAHN ICE BEERで・・・
最後もブリスベン空港までファーザーのギャリーとマザーのヘレンがわざわざ送ってくれた。
本当にこのファミリーに出会えて良かった。
最後に会うオーストラリア人が彼らで本当に良かったと思える再会でした。
あとがき
最後に飛行機に乗る時にいよいよ俺のワーホリも終るのか・・・と凄くグっと来るものがあったのを覚えています。
後ろ髪引かれる思いも少しあったけどやりたい事はやりきった。
そう思えるような時間だったと思います。
正確にはたった10ヶ月の期間だったのに自分には3年にも5年にも思えたような時間。
今回この記録を読み返してみると本当に若くて馬鹿な事してたな・・・。
いや・・・さすがにこれは消しときたいなという場面や言葉が沢山並んでいました(苦笑)
まぁ、でももしワーホリを迷っている人にもこんなバカでも行けるんだったら自分も行けるな。
って思ってもらえるんだったら今更20年前の記録消してもなぁ・・・と^^;
後は僕がこの記録で伝えたかったのはもちろん事前に色々と計画を立てて実行することも重要だけど動きの中で自分で考えて決めてもいいんじゃない?って事。
僕はこのブログを通してただのワーホリで終らない次のキャリアに繋がるワーホリの応援というのもテーマに挙げていますがそれはワーホリのほんの一部。
矛盾するようですが別に皆が皆そこを目指す必要はないと思っています。
ワーホリってもっと自由なもの。
最初のワーホリや海外経験はガチガチに計画立てなくてもまずは行くことに大きな意味があると僕は思っています。
別に1年ガッツリじゃなくても良いですし・・・
ある人にとっては日本と別の道を知るためだっていいし
ちょっと羽を休めるためだっていいし
本当に自分が向いているかを見極めるだけだっていいと思います。
本当に気に入ったらまたそこで計画をしっかり立てたっていいんですから。
何にせよ、来ない事には自分がどうしたいかなんて何も分かりませんよ!
僕は色々な人の色々な形のワーホリを応援しようとコミュニティ作りを計画中です。
どんな内容になりそうかはこちらの企画記事も参考にして下さいね!
え・・・そういえばこのオーストラリアの記録で出てきた彼女とその後どうなったって??
それが今・・・・・
Dukeのオーストラリア1年の軌跡【完】