31.シドニーで孤独な3バカトリオの冒険
Lonely boys
3バカトリオの冒険
月曜日から金曜日まで毎日夕方まで働き、週2回夜の学校に行き、水曜日の夜にサッカーの練習、土曜日に試合。
その他の夜はビリヤードをして…そんな風にして2ヶ月半が過ぎた。
シドニーに来て2週間ほどで秋がきて、5月を過ぎると南の国に冬が来た。
その頃にはノリは一時帰国をしてオーストラリアから日本へ戻っていた。
その代わりジャパニーズレストランを辞めて家に居るようになったコーヘイと急速に話をするようになった。
最初の無愛想な雰囲気と違って話すとメチャメチャ面白いヤツというのはしばらくして知っていたが彼が仕事を辞めてからは特に、話をするようになった。
コイツはオレよりも3つ下だったけど敬語というのはバカバカしいとどんな奴とも全く普通に話をした。
もちろんこの国に来てからは皆、年関係なくタメ口で話すというのが当たり前なんだけどヤツの場合はまるで違った。
本当に対等の立場として接してきた。
変わった奴っていう思いはあったが、この国に入ってからは年上役をやっていた(やらされていた?!)オレはなんかイイ感じ。と思っていた。
オレの事を”カバ男”呼ばわりした。
理由を聞いても「兄さんシャレ通じるって分かってるから言ってみただけ…何となく。」しか言わない。…カバ?
そのくせなんか相談事があるとオレの部屋に来て「ちょっと兄さん、大人の意見聞かせてよ。」などと可愛い部分もあるヤツだった。
やはり西特有のふざけたテンポを持ったヤツだけど変に不器用な所がまたおもしろいと思っていた。
よくヤツの部屋でミーティングと称して次の日頭にガッツーンとくるような安っいワインを飲んだ。
仕事の話もよくした。
ジャパニーズレストランの労働条件はやはり厳しいらしく安い賃金で長時間働かされたらしい。
時間給5・6ドルというのがジャパレスの標準のようだった。
しかも、絶対申請なんかしてない癖に給料から税金を引いてるとこなんかもあった。
悲しいかな、それでも生活する為には皆そういうところで働かざるを得ない。
というのが現状だった。
オレは少しだけいい時給をもらっていたが既に書いたようにやはりそれなりに色々な事が要求された。
食べてくためにいろんな事を我慢して一生懸命働く。
当たり前のことなんだけど皆やりたいことの為にいろんな物を削って頑張る。
しかも飯なんて当然、質素なモン。
毎朝40円のラーメンにライスとかだったもんウチらなんて…
良くても景気がいいとタマゴが付くぐらい。…これがまたすっごく美味しいんだよなあ。
これでいいのか?と色々感じながらも毎日の生活の為にこなしているワーホリメーカー達。
皆が刺激しあって必死に食らいついてる
どんな形であれ、迷いながらも前に進んでいく人の姿は見ていて気持ちがいい。
シドニーではそんな奴らにたくさん出会った。
ブリスベン時代の華やかな日々も確かに存在したけどこれからワーホリに出ようとしている人にはこういった現実も頭に置いておいて欲しいと思う。
これで日本の会社に面接行ったら会うなり
「ああ…ワーキングホリデイ。どうせ遊んでただけだろ?」とか言われるんだからたまらない。
遊んだよ。思いっきり、遊んだよ…でもなそれだけじゃ生活なんて出来るわけないんだよ!!
”だけ”なんて簡単に言うなよな!!。
……まあいいけどね。そういう事、簡単に言う人には一生理解できないでしょう。
そんな事面接で言われるといっつもこんなこと説明してた気がする。
話がちょっとずれたけどコーヘイ&コーヘイBとこんな話もした。
その頃3人とも日本に残してきた彼女を寂しがって色々話してる内に
自慢大会になってるなんて事もあった。
「オレの彼女めちゃめちゃ可愛んだよ。」
「いや、ウチのがスゴイと思うよ。」
「オレの彼女は強いッス。」
・・・・・・・・・・・・・・・?
3バカトリオ誕生だ。
話しているうちにどんどんお互いに寂しくなっていた。
皆、夜は枕を濡らして寝ていた。(ハイ。ハイ。)
そこで寂しい3バカトリオが下した結論とは…
ナンパに行く事にした。…………本当の3バカじゃん。
前の晩、食事当番のオレはチャイナタウンで覚えたマーボー豆腐もどきを皆の分作りそれを食べながらコーイチいわく天上人の部屋の彼の部屋で作戦会議をした。
町の中心地にあるバーに行って攻撃するというものだった。
ナンパかア…あんま、得意じゃないなあ…
しかもコーヘイ、コーヘイBもナンパの経験はないという事だった。
「どうする。どうするー?」「マジでえ?そんなんできんわー」「無理ッスよー」
一昔前の高校生のようだった。
次の日(当日)…
一昔前の高校生には幸運の女神は微笑まなかった。
色々調べてナイトクラブに向かったのに何件かは潰れてたしようやく声を掛けてもこれといってパッとしなかった。
なんか欲求不満でマックでビッグマックを食べて帰った。
そんなオチでしょうよ…
しかーし、
数日が過ぎコーヘイがステキな話を持って帰ってきた。
ヤツの女のこの友達が何人かさらに友達を連れてきておもしろいとこに連れて行ってくれると言った。
オレとコーヘイBも、もうノリノリだった。(はい、死語使い。)
やっとこの数日間のモヤモヤが晴れる時が来た…とその時は信じていた。
まさか、まさかあんなとこに連れて行かれるとは……キャー。助けてーええええ…
・・・・・・・・・・・・・・・・
その日の夜はもう随分寒くなってきていて、オレはレザージャケットを着て3人で集合場所へ向かった。
仕事で使っていたSt.Jamesという駅で降り、女の子達を待った。
しばらくすると女のこは1人だけ現れ、他のコ達が来れないことをオレらに告げた。
”あらーっ?!”
マジでえ。…まあしゃーないか…何でもいいわー…よくはないけど…
まあ、そのおもしろいとこって場所に連れて行ってもらおうか。
オレらは夜の歓楽街KINGS CROSSの先に向かって歩き始めた。
夜のこの通りは慌ただしくいろんな人達で埋め尽くされていた。
クラブやバーなどいろんなところから音楽が洩れて聞こえた。
この時、通りにやたらヤロウ共が多い事にオレ達はまだ気が付いていなかった。
そして15分ほど歩いたとこでその女のこは「ここ。」といって店を指さした。
見たところ普通の、むしろ小さめのナイトクラブという感じだった。
オレ達はその店に入った。
ムワ~ッ
外はもうジャケットが必要なくらいの気温だったのに中は熱気で蒸せかえっていた。
Tシャツでもいいくらいだった。そして…
な、なんじゃこりゃー。
ぎゅうぎゅうの店内を見渡してみるとなんと9割以上がヤロウ共だった。
しかも手をつないでたり,肩を抱いてたりするのだ。ヤロウ同士で…
何?これって、もしかして、もしかすると…
噂に聞く ゲイ?
まじかよー。
シドニーはこういうの多いとは聞いてたけど、こいつらみんなそうなの?
まあオレらみたいに単純におもしろ半分で来てるヤツラもいるだろうけどこの超密集した空間にゲイがいっぱいいんの?
超デンジャラス地帯じゃんかよー
っていうか、この空間の”チ〇コ密度”えらいことなってんじゃないの?!(バカじゃないの…)
しばらく我慢していたが、蒸し暑さと気分の悪さに”さすがにもう無理”って思って外に出ようとするとここに連れてきた女のこは「これからすごく面白いショーが始まるから」と言ってオレを遮った。
仕方なく戻りさらに数分がたった。
オレの不快指数は200%を越えていた。
・・・そこの兄ちゃん…頼むからオレの目の前で男に甘えるなよ。
そんな目で男を見たらアカンて。
そして…
ヤロウ共がパンツ1丁で踊るショーが始まった。
男番ストリップみたいなもんだ。…
ごっついマッチョの集団が女装をしてカウンターの上で自分に酔いながら踊っていた。
もう、なんでもエエわー。早く帰らせてぇー。
もしくはオレを踊らせてぇー……なんで?
悪夢の夜だった。
その女のこは店を出るなり「スゴイ綺麗だったでしょう?」と言った。
皆 「…………。」
しかも次に連れて行かれたクラブもヤロウ共の巣窟だった。
もー。助けてえええええ・・・。
彼女とは2度と会う事はなかった。
ブルーになった…
・・・・・・・・・・・
次の日コーイチの部屋で昨日の反省を踏まえて緊急会議が開かれた。
そして長時間の協議の結果…
エロ本を買うことになった。…
毒された目を癒さなければ…って名目の元に…
ここまでくるとバカっていうより哀れだ。
寂しすぎる。もう泣きそうだった。
しかし最年少のコーヘイBが買いに行く事になると皆色々注文をつけた。
「オレ写真が多いやつ。」「オレは外人系」「オレ、投稿もの」…………
ステキな日本人達がそこにいた。
もう日本に帰ってくんな!!おまえら。
冬の風が冷たく吹きすさんでいた。